こないだの数日間、田んぼの仕事は、ずっと雨の中でした。
しとしとと長く降る梅雨の雨で、また時折どっと急激に降ってきたりする雨でした。
雨合羽を着てても、長い時間でだんだんとしみ込んで、全身びっしょりで冷たくなってきて、
それに、かろうじてイヤホンでラジオを聞きながら作業していましたが、東京の放送局から流れてくる番組では「今日も雨ですねぇ」と、この雨を“どうしのぐか”ばっかりが話題になるので、なんとなく気が重くなってしまいます。
そんな中、いつかフィリピンで山の中に暮らす人たちと話をした時のことを思い出しました。
とてもシンプルに暮らす人々で、竹でできた簡素な家の中には必要最小限のモノしかありません。
でも、家の中の家族はみんなあたたかく、子どもたちはみんな元気、外でワイワイやってます。
日本みたいにクーラーはないし、インターネットやテレビゲームもありません。テレビすらある家は少なかったかな。
「雨の日は何して遊ぶの?」
家の中にはおもちゃらしきものも見当たらなかったので、走り回っていた子どもたちにそう聞いてみました。
「雨の中で遊ぶよ!」
子どもたちは当然のようにそう答えました。
晴れているときは、晴の中で遊ぶ。雨のときだって、雨の中で遊ぶ。
服がぬれちゃうとか、泥汚れしちゃうとか、そんなの関係ありません。
晴のときは晴相応に、雨のときは雨相応に、遊ぶのだそうです。
がつんと殴られたようにびっくりしましたが、子どもたちはとても自然な姿にみえました。
仕事だって、暮らしだってそうだよね。
晴のときは、晴として暮らし、仕事する、
雨のときだって、ただ雨として暮らし、仕事する、それだけのこと。
顔や体がぬれたっていいし、冷えたら暖まればいい。
そう思い直し、僕は田んぼの中で思い出したフィリピンのあの子どもたちに心救われた気持ちでした。
晴もあって、雨もあって、
嵐もあって、大雪もあって、
夏に生い茂る緑の草木もあって、秋に茶色に枯れていくそんな光景もあって、
そのいろいろで複雑な変化や流れが自然というものだし、僕らはそれにあわせて、というか、その一部として、生きているんだよね。
そう思うと、空から降ってくるしずくがとてもきれいに見えてきました。