例えば、
駅前に停めた自転車のカゴには、なぜかごみが投げ入れられたり、
玄関の靴箱の板が傘かけになってしまったり、
窓の桟のところに花びんをおいてしまったり、
そんなふうに、気づかずのうちに本来の目的とは違う用途で使われているものが多くあります。
それは
自転車のカゴが、人にごみを投げ入れることを“アフォードしている”、
靴箱の板が、人に傘をかけることを“アフォードしている”
窓の桟が、人に花びんを置くことを“アフォードしている”
ということなんだそうです。
アフォーダンスとは、環境が提供する情報や価値のことである。
人は、意識的にまたは無意識的にアフォーダンスとしての情報や価値を環境のうちに検索し、活用しており、時に気づかずのうちに影響されている。
という「アフォーダンス」の考え方、意識的に利用すると、いろいろな問題の解決につながるんじゃないかと思っています。
部屋がすぐに散らかってしまうとき、
「散らかしてしまう自分を反省し、戒め、そうしないように《自分を変えよう》と努力する」のも手だけど、
「《環境を変えよう》(散らかしてしまうよう自分にアフォードしている環境を、散らかさないようにアフォードする環境に変える)と努力する」
のも一手。
問題解決のために、自分や物ごとを変えようとするとき、自己の内部を変えようとするのか、環境を変えようとするのか、どちらからもアプローチできるということになります。
だから、
今目の前にあるもの・起こっていること(=環境)が、自分に何をアフォードしているのか、よく見えるようにしておくこと。
今の環境のアフォーダンスによって、どんな自分の言動や出来事が引き起こされてるのか意識してみること。
ただし、自分のあり方によって、環境からアフォードされてくる価値や情報は変わるらしいので、
自分のあり方もよく見つめておくこと。
いろいろなものごとは、自分のあり方と環境との相互作用によって起きてくるものなんだ
ね。
今の自分にはどんな相互作用が働いてるのか、ちょっと考えてみたいと思います。
『アフォーダンス-新しい認知の理論 (岩波科学ライブラリー (12))』佐々木正人、岩波書店、1994年
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・ゲシュタルト:感覚要素の総和以上のもの、総和とは異なったもの。16
・「動き」が情報となるということは、「形」にでなく「変形」に意味があることを示している。
・重要なのは、変化しないことではなく、変化することによって、対象の不変な性質が明らかになることである。32・知覚にとっては「変化という次元」こそが問題なのだ。「変化」のなかに埋め込まれている「不変」が知覚されることなのた。32
・点は面へ、そして面のレイアウトへ、静止した形は「形の変化」、すなわち変形から現れる「不変」へと置き換えられた。ビジュアル・ワールドの見えにはさらに、知覚者自身の身体の傾きや変化も含まれていることが明らかになった。35
・「知覚の刺激」の本質は、環境の中で、動き回って、何か見ようとしている観察者が全身の動きとともに発見するものである。35
・「知覚の刺激」となるためには、そこには何らかの「異質性」つまり「差異の構造」がなければならない。37 差異によって認識する。
・環境の中を「漂っている」、環境に「充満している」光を視覚の基礎にすべきである、とギブソンは考えた。46 様々な方向からの光が散乱的に漂い、充満し、わたしを包囲している。
・観察者の移動や環境の変化にともなって配列の構造が変化する。この変化が環境の中で「不変なもの」が何かをあきらかにする。48
・私たちが知覚しているのは「変形」と「不変」である。世界の「持続」と「変化」という性質である。環境に満ちているのは、「持続と変化」である。53
・情報は人間の内部にではなく、人間の周囲にあると考える。知覚は情報を直接手に入れる活動であり、脳の中で情報を間接的につくり出すことではない。私たちが認識のためにしているのとは、自身を包囲している環境に情報を「探索する」ことなのである。54
・環境は、加工されなければ意味を持たない「刺激」のあるところではなく、それ自体で意味をもつ「持続と変化」という「情報」の存在するところとして書き換えることができる。54
・視野に境界をつくり、周囲を隠しているのは自分の身体である。56
・見えの変化は自己の姿勢や移動の方向、速度や加速度の情報にもなる。環境を知覚することと自己を知覚することの「相補性」57
・情報は環境の中にあり、しかしそれは、情報を検索・認識する主体により規定されている。58
・観察者が環境の面の配置に見ているものが、観察者の身体にとっての「意味」や「価値」であることを示している。59
・アフォーダンスとは、環境が動物に提供する「価値」のことである。60
アフォーダンスのあり様は、主体によって変化する。・主体は、環境におけるアフォーダンスを無意識のうちに検索し、抽出し、採用している。62
アフォーダンスをピックアップすることは、ほとんど自覚なしに行われる。したがって、環境の中にあるものが無限のアフォーダンスを内包していることに普通は気づかない。・環境は潜在的な可能性の「海」であり、私たちはそこに価値を発見し続けている。
・環境の中の情報は無限である。したがってそれを探索する知覚システムの動作も生涯変化しつづける。81
・伝統的なクリーチャー:行為のプログラム化、入力
新しいクリーチャー:行為のプログラムは主体が出あう環境において決定していく。・道具はそれを使ってどのような行為を行うことかがわかるようにデザインしておくこと、コンピュータによるシステムの設計もそれが何をアフォードしているのかが、よく「見えるように」しておくこと。
設計のアイディアは、道具やシステムが利用されるまさにその現場で発見されなかればならないだろう。165・きこりが斧で木を切っている場面、斧のそれぞれの一打ちは、前回の斧が木につけた切り目によって制御されている。このプロセスの自己修正性(精神性)は、木−目−脳−筋−斧−打−木のシステム全体によってもたらされる。このトータルなシステムが内在的な精神の特性を持つのである。
システムの精神的特性は、部分の特性ではなく、システム全体に内在する。・精神を広く世界に観察しようとする態度。
・ギブソンの理論に出会ったら、精神が頭や脳のどこにあり、世界の像がそこでつくられているのだという説明が急に色あせ、信じられないものになる。そして、いまこのように見えていることの原因を、環境の中に探していみようとしはじめるようになる。114
・ギブソンに学ぶべきことは、目の前にある現実にどれだけ忠実になれるか、すなわち、「理論」そのものからも自由になる方法である。115
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