稲刈りが、とりあえず一段落して、すぐに来年のお米づくりに向けての準備が始まっています。
「耕耘・代かき」という田植えの基礎づくりの作業は、普通はだいたい春先にするのですが、この辺の雪が多い地域では雪が溶けるのが遅いために、秋のうちにやってしまうことが多いそうです。
トラクターという強力な機械に乗って、ゆっくりゆっくりと田の泥をかき混ぜていきます。
最近、とくに稲刈りが始まってからずっと、ほんと息つく間なく走り回っていたので、その速度の違いにちょっと戸惑うというか、安心するというか(それでもまったく気は抜けないけど。。)・・。
まわりを見回してみると、夏のすごい勢いの草の姿はいつの間にか落ち着いた感じになり、山々の上の方を見るとすでに赤みがかかっています。
「こんなにきれいだったかなぁ」と、しばしの間まじまじと景色に目を見張ってしまいました。
こないだの日曜の午前中、ももこのかねてからの望み「こんどパパといっしょにでんしゃにのろうねぇ〜」を叶えるために、2人で電車にのって隣駅の街まで行きました。
いつもは車で行くこの街ですが、電車を降り、彼女と手をつないで歩いて見ると、普段は見えないいろんなものが見えてきます。
商店街にある昔ながら個人商店、電気屋さん、パン屋さん、たたみ屋さん・・、店先の雰囲気はなんとも懐かしい趣があって、
それから、歩いているとあちこちに田んぼの用水路があって水の流れる音がし、昔はきっとそこで野菜なんかを洗ったりしたんであろう水まで降りていく階段があったり。
大型スーパーだけを目当てに車で走る抜ける街とはまったく違った風景がありました。
速度を変えるって大切なことだよなぁ。
そういえば、20代の中頃「鳥瞰すること」を大事にしていたのを思い出します。
鳥が空高くのぼって大地を見下ろすように、高い大きな視野から自分を見下ろして、
今の自分が全体の中のどの辺りにいるのか、を見ることです。
あの頃から10年以上がたち、最近は新しい生活が始まったこともあって、そんなことすっかり忘れ、ただひたすら目の前にやってくることに一生けんめいになっていたっけなぁ。
・人生という時間の中で、今どのあたりにいるのか、
・世界という空間の中で、今どこに位置しているのか、
・高さを変えて、全体的な視野から確かめてみる
・速度を変えて、見過ごしていたことを確かめてみる
ただの“過去の延長”としての「今」でなく、“望む未来のため”の「今」であり、
「ここ」だけが世界なのでなく、世界の中の「ここ」であるということ、
秋の夜、忘れていたことを思い出せるといいなと思います。