かつて、いっしょに活動したり、濃い時間を分かち合ってきた仲間たちです。
東京から遊びに来てくれた6人と、
東京から仕事の出張ついでに立ち寄ってくれた1人、
それに、新潟(でもわが家から3時間)に引っ越してきた友だち夫婦ともばったり再会(!)して彼らもまた泊まっていってくれました。
それぞれに時間が過ぎて、出会った当時は学生だった彼らも、社会に出て働き始めて今もう3〜7年目、それぞれにとても立派な社会人たちになっているから、おどろくというか、とてもうれしい感じがします。
もちろん、みんながみんな順風満帆というわけではなく、迷いや苦しみの中にいたりする人もいるけれど、それも含めて「みんな一生懸命がんばって立ち向かっているんだぁ」と知れると、本当にうれしい。
最近は大学の研修室の学生さんらとの集落協働プロジェクトもはじまり、わが家に集ってくれた人数は、越してきてからこの1年10ヶ月でもう延べ150人を越えました。
小さいころや大人になって東京に住んでいたときは、家に友人を招くことなんてめったにしたこともなかったし、「今度あそびにいっていい?」って聞いてくれる人もめったいにいませんでした。
東京を離れるとき、みんなが開いてくれた「壮行会」で、僕には何も知らされないままそこに集ってくれた90人余りもの人々を目にして「こんなに思ってくれる人たちを僕は東京に置いていってしまうんだ」と、“はじめて”一緒にいてくれる友だちたちの存在に気づき、悲しい気持ちになりました。
が、こうして遠く離れ暮らし始めてみると、こんなにたくさんの人たちが会いに来てくれるし、逆に“人生の友”のような存在も増えたように思います。
30代後半になって恵まれたこの転機、ほんとに、うれしい、幸せなことです。
わが家に来たいと言ってくれる人たちに「何をしたい?」と聞くと、これまでのほぼ全員が「何かお手伝いをしたい!」と言ってくれます。
「ほんと?何か楽しいことしたくないの?」と聞いても、せいぜい夜は「はなび」とか「近所の温泉に行きたい」というくらいです。
「じゃあ・・」とか言って、僕も僕で当たり前のように田畑の仕事や雪かきなんかを手伝ってもらって、ほーーーんとに助かっているんだけど、
でも考えてみると、これ、あんまり普通じゃないよね(笑)。。多くが関東の方から安くない交通費と貴重な時間をかけて、わざわざはるばる来てくれてるのに。
なんで、みんなこんなに優しい人たちなんだろう?
(「優しい」っていう言葉は、ちょっと違うかもしれないけど、とりあえず、あまり考えないで使っておこう。)
この世の中の人たち、世界の人たちは、みんな優しいんだよな、きっと。
悪いことをする人も、憎たらしい人も、どんな人でも心の奥底にはきっとどこか“優しさ”があり、
その優しさを使うこと、それを誰かと通わせること、それで誰かをよろこんでもらうこと、
そうしたことこそが、誰もが本当に求めていること、なんじゃないかと信じたいと思います。
これからも、たくさんの人がここで優しさを通わせるために訪れてくれ、何か事が起こっていったらいいなと思います。