「ああ~、もう~、こぼしちゃダメでしょ!」と、ももこ(もうすぐ2歳)を叱ったり、
「やり始めたことを途中でやめないで最後までしなさい!」と、まさや(6歳)を注意したり、
他にもいろんなことを、日常的に叱ったり、怒ったりしてしまいます。
ももこはまだしも、もうまさやなんか、
注意が足りないし、
気が散りやすいし、
話を聞かない。
それに、
何度言っても忘れてしまうし、
すぐにグズグズするし、
あきっぽいし、
自分が好きなことばかりするし、
人のことを考えないし・・・・。
しかししかし、しかししかし、
しかしさ、
考えてみれば、彼らは、
注意力も、集中力も、理解力も、記憶力も、行動力も、認識力も、
時間や空間を認識する能力だって、状況を把握する能力だって、
大人の僕らに比べれば、まだ十分に発達してない(あるいは大人とは異なる能力)ということは、当たり前。(例えば、とか。)
当たり前っていうか、そんなの考えなくても、わかることだろうに。
彼らはこないだ生まれてきたばっかりで、脳も今がんばって発達している最中だし、僕とは30年以上も生きている時間、経験してきたことが違うんだから。
なのに、一緒に暮らしているといつの間にか、大人の尺度で彼らを測り、大人のような振る舞いを期待しちゃうんだな、これが。
(とかいって、“子どもらしい”振る舞いを期待することもあったりして。なんて自分勝手な親だ。。)
そうして、説明力や言語表現力だって十分でない彼らに向かって、怒ったりするから、彼らは泣くか、「ごめんなさい」って言ってわけわからず誤るしかなく・・、あぁもう、ほんと、ごめんごめん・・。
子どもは大人ではない。
自分とは経験や能力の異なる子どもに、自分の尺度や勝手な期待を押し付けてはいけない。
気をつけないとなぁ。
・・と、これって大人と子どもの関係においてだけだろうか。
他人は自分ではない。
自分とは経験や能力の異なる者に、自分の尺度や勝手な期待を押し付けてはいけない。
誰に対しても同じことだよねぇ。
教えるとき、叱るとき、常に見ていなければいけないのは自分自身。
・・とはいえども、
ももこが、またまた、ミルクを豪快にこぼしたとき、
まさやが、またまた、片付けの途中で遊びだしたとき、