きのうまでの2,3日は、トラクターをお借りして、田んぼの耕耘と代かきという作業をしていました。
トラクターは、それに乗っかって運転しながら、後ろについているロータリーという装置で、ゆっくりと田底の土をかき混ぜます。
まだ未熟ものの僕にとっては、こういう大きな農機に乗ってする作業はめったになく、いつもはクワやスコップで泥土を掘ったり、レーキで落ち葉や枝を拾ったり、鎌や草刈機で草を刈ったり、重いものをたくさん運んだり、ほとんどが力仕事、からだをたくさん使う仕事ばかり。
でも、このトラクターの作業というのは、その“力”仕事の部分を機械にやってもらうので、からだ的にはうんと楽なんです。(でも、僕はまだまだ下手くそで、その分、気はたくさん遣うんですが。。)
ただ、トラクターのガタガタガタという騒しい音とともに集中して作業を続けていると、時間があっという間に過ぎてってしまう。
気づくと日が傾いてもう辺りが薄暗くなるころ、家に帰ったのは日が落ちた後でした。
力仕事をしているときは、からだがそんなに長時間もたないんだけど、トラクターだと時間が長くなってもできちゃうんだな・・。
と、東京でパソコンの前に座って仕事をしていたときのことを思い出しました。
「日が落ちたから」という理由で家に帰ることはもちろんなく、夜もずっと作業は続き、家に帰るのは「電車がなくなるから」という理由です。
そういう意味では、パソコン仕事もトラクターでの作業と一緒。疲れてからだが動かなくなることはないから、ずっと働けてしまう。
そんなことしちゃうとバランスを欠いて、慢性的な病気になったり、大切な人たちをおろそかにしたり、一度しかない小さな自分の子どもの成長を見逃したり・・してしまうんだろうな。
人間って本来、自分のからだ自体で抱えきれないような仕事をしちゃダメなんじゃないんだろうか。
便利になり、化石燃料やコンピュータの力を借りて、いろんな作業が楽になって、人間は自身の能力を拡大したように見えるけれど、
でも、それって結局人間に無理な負担を強いているんじゃないかね。
そんなことを思います。
先日、お隣の集落の道普請(みちぶしん=集落共用の道路や水路を掃除・補修する作業)のお手伝いをさせてもらった時、
80にもなるあるおじいちゃんが「くたくたに疲れるまで働いちゃダメなんだよ」って熱弁してました。
とか言いつつ、朝から始まってかなりハードな仕事だったんですが、作業は4時半で終わり。
その後は夕食の時間までみんなでお酒を飲み、あれこれあれこれ、話をしました。
一所懸命に働く時、互いにねぎらい楽しむ時、家庭にもどって休む時、
これぞ、人間の営みだなぁと思いました。