先日、ひさしぶりに渋谷の街を歩きました。
時間は夕方の4時半すぎ。通りを歩く人数も走る車の数も徐々に多くなってきて、街灯やネオンサイン、店頭のライトが光り始めました。
これから賑わうんだろうなぁ。
おなじみの渋谷の光景に何の違和感もなくそう思ったとき、ふと新潟の家でのいつも夕方を思い出しました。
すっかり日が短くなった最近は、4時半すぎというと、もうかなり薄暗い時間。
空に残ってる明るさが水がはられた田んぼに映ってて、周りの木々も黒く影のように見えている時間。
仕事もそろそろ収束に向かうか、もう家にかえってお風呂に入る準備をしていたり。
これから20分もすれば、外は真っ暗になり、静かな夜がやって来ます。
わが家の上の4時半すぎの空は、夜の始まり、一日の終わりの空です。
そんな空を思い出しながら、あらためて渋谷の空を見直してみました。
あれ?同じ4時半すぎの空じゃん。
当たり前といえば当たり前。
でも、長く東京に住んでいたのに、この渋谷の4時半の空をこんな薄暗がりの空として見たことはなかった。
活気づく街の雰囲気やビルや店の光ばかりが目に入って、空なんかちゃんと見ていなかったんだろうか・・。
《陽の光、空の明るさと息をあわせて生活すること》。
山の木々草花や生きものたちもそうやって生きているんだろうけど、たぶん、それは人間にとっても大切なんじゃないだろうかね。
渋谷にいたら、東京にいたら、空なんか関係ないものね。
そんなことをぐるぐる考えながら、
なんとなく「へんなの」ってつぶやいたら、
手をつないで歩いてた、いきさつをしらないまさやに、
「へんなの、とか言わないの!」
と、怒られてしまいました。