先日、隣の集落の道普請のお手伝いに行きました。
一日の仕事が終わった後、公民館に招かれて、山菜の料理をごちそうになりました。
いっしょに汗を流したおじちゃん・おじいちゃんたちがビールを飲みつついろんな話をするのを、僕はただ聴いていましたが、
僕の目が追っていたのは、身振り手振りするおじちゃん・おじいちゃんたちの手。
お百姓一筋でやってきた大先輩方の手は、ゴツゴツでシワシワで、節々が太く、力強くて、 たぶん土や野菜や山菜のアクなんかが染みこんでるためか、爪や指先は黒くなっています。
固くなって曲がらなくなってそうな手や、指の先がない手もありました。
隠すことや自慢することも、もちろんないのですが、そういう手の姿は、まるで人生そのもの。
話してることよりも何よりも、一番多くのことを語っていたような気がします。
『風の谷のナウシカ』で、ナウシカがおじいさんの動かなくなった手を見て「働き者のきれいな手」といいましたが、おじちゃんたちの手も、ほんとにきれいでかっこいいなぁ、と思います。
僕の手もそんなふうになれるんだろうか・・。
いや、そんな手になるには、なんかある種の“覚悟”が必要な気もします。
2年くらい前にも、「手」のことを書きましたが、
田植えを控えた最近は、土砂や落ち葉に埋もれた側溝や沢、溝の掘り直し、田の泥を掘り出しての畦作りなど、スコップ3種類、熊手2種類、それにクワを選び、手に握る仕事をしています。
われながら「がんばるなぁ」と思うほど、ガシガシよくやります。
手のひらも追いつかなくなり、豆だらけになって、血が出てきました。
“覚悟”が手をつくるのか、あるいは、手が“覚悟”をつくるのか・・。
山椒の葉をのせて出してくれた冷奴の、お豆腐を手に乗せて切るおじちゃんのその手は、とてもしなやかな手にも見えました。