親愛なるみなさんへ
毎日、ほんとに雪がよく降ります。ひらひら、ドカドカ、しとしと、深々、豪々、いろんな雪が降ります。今頃、2月中旬くらいまでがちょうど降雪のピークなのだとか。もうすでに一階の窓の半数は雪で埋もれてます。
先日もいつもの通り、雪掘りの作業をしていました。こまかい雨のような雪が降っていましたが、その日は覚悟して午前中3時間くらいはやったかな。
途中、まさやも参戦してきてくれました。が、なぜかご機嫌は最悪。半分泣いたような状態で外に出て来ました。
こんな彼をどうしたものか・・?
しばらくは破裂寸前のおできのようになるべく触らないよう、半ば無視して、僕は作業を続けていました。というのは、僕自身も心が重かったからです。機嫌が悪い者どうし、きっと関わらないほうがいい、そんな気がしていたんです。
しかし、そののち、ふと我に返りました。彼は別にしても、僕の心が重いのは何でなんだ?何がこのなんとなくのイライラを作り出してるんだ?そう思い自省してみたところ、いろんなことが自分の中を占拠していました。ちょっとした気がかり、近い未来の嫌な可能性、やるのを忘れてた重要なこと・・。でも、そんな“今頭の中においておく必要がないネガティブなこと”を引き出していた元々の起源は、そう、この日の積もった重たい雪と、重苦しい鉛色の空、雨のように降ってくるこまかい雪。つまり、天気、環境だったのです。
僕は馬鹿馬鹿しくなり、この心の重さを解き放とうと、遊びのきっかけを作ることにしました。まず彼の名前を明るく呼びました。そして、掘った雪を不機嫌なまさやに何度か投げてみました。すると彼に少しずつ笑顔がもどり、作戦は成功。僕の心も彼の心も徐々に軽くなって、楽しんで作業ができるようになりました。
めでたし、めでたし。。
ただ、振り返ってみると恐ろしいものです。天候や環境などという《自分では操作できないものに自分の心が左右されている》、それも気づかずのうちに。そんなことに気分が左右され、自分のネガティブな思考が引き出され、その時々の選択にも影響していく。
人は一日生活する中で、約4万回の意思決定をしているそうです。その選択や決定が、気づかずのうちに自分ではどうしようものない要素に左右されて、不本意な方向にいったらどうなるだろう。何気ない一つひとつの作業や挙動、他者とのやりとり、仕事上の判断、さらに、人生の岐路となるような大きな決断や組織にまつわる判断、ひいては、国の重要政策についての決定まで、世界にはいろんなレベルの選択や決断があるけれど、“自分では操作できないもの”にいつのまにか心が影響され、その選択や決断が支配されていないだろうか。大きな結果を生む一つひとつの小さな選択が、そういうものに支配されてないだろうか。
選択や判断に際し、ある意味では感情も大切だけれど、《その感情がどこから起こっているかには常に目を凝らしておく》必要があるんだろうね。そして、もし自分では操作できないものに自分の心が左右されていることがわかったら、開き直って、その感情をリリースする方法を考えよう。
何気ないまさやとの時間で、そんなことを学んだ朝でした。
今日は一体どんな雪が降ってくるのかな。
わたなべまさゆき