僕たちは、人間の個性や社会性という色眼鏡をとおして、ものごとを理解したり、測ったり、判断したりしているけれど、
人間の、生物としての元来的な成り立ちや仕組み・働きを見直したとき、
いろいろなことの本質や意味がわかるような気がします。
人間だって、他の生物と変わらない生物の一つなんだし、他の生物と同じ摂理において生命を営んでいるんだろうし。
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生命にとっての情報(価値)とは、変化や動き。
異なる性の遺伝子が交換されることで絶えず可変性がつくられて、
安定しない環境である界面(エッジ)にこそ、新しい変化や動き・系が起きる。
いつまでも完成することがなくて、意味があるのはプロセス自体。
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できたもの・やったことなどということばかりを気にしないで、
未完成を先送りし続けながら、
花を愛でたり、星を眺めたり、歌ったり、風に吹かれたり、子どもと遊んだりという、
成果ではない、日々の一つ一つの変化や経緯を大切にしたいねぇ。
『生命の逆襲』、福岡伸一、朝日新聞出版、2013年
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・何かをじっと待つ。来るかもしれないし、来ないかもしれない。自然を相手にすると、結果がでないことに対しても寛容になれます。19
・そのお母さんはごく自然にこう答えたのでした。「なんでだろうねぇ」と。子どもはそれ以上何もいいませんでした。疑問は開かれたまま子どもの心にそっと受けとめられます。それは彼に自分で考える契機を与えることでしょう。いつの日かその疑問は解かれ、納得がもたらされることもあるでしょう。・・答えが見つからないこともあるかもしれません。しかし大切なのはそのプロセスだと思います。世界はわからないことで満ちています。疑問を抱き続けることに意味があるのです。そしてそのことについて自ら考えることそのものにも意味があるのです。53
・部分にはたえず全体のルールが流れているのです。脳が主、身体が従ではなく、身体は脳を含めて全体であり、ほんとうは部分というものはない。多田さんはそのような生命のネットワークの全体性を「スーパーシステム」と呼びました。
・多細胞生物の場合、個体の誕生から死ぬまでを一区切りの一生と呼ぶことができます。死体の細胞は、間もなく自己崩壊していきます。土に埋められれば微生物による生物分解が進みます。火葬すれば、燃えるものは二酸化炭素や二酸化窒素になり大気中にもどり、次の循環に手渡されます。燃えかすも最終的には大地に帰ります。
・しかし分裂を繰り返すかぎりにおいて単細胞生物には死がないのです。しかも、もともとの細胞成分のうち半分が次の細胞に引き渡されるのです。DNAは2倍にコピーされて等しく分配されます。 92
・女性の身体にはすべてものが存在していますが、男性はそのうちのいくつかを取捨選択して、作り変えられたものなのです。つまり生物学的には、アダムからイブが作られたのではなく、イブからアダムが作られたのです。・・男というものが、遺伝子の運び屋として進化の途上に後から発明されたものであることを如実に示しています。111
・生命の基本仕様はメスで、メスが誰の力も借りずにメスを生む、というのが長い間、本来の増殖パターンでした。・・が、もし、ひとたび環境が不安定になった場合、生命の側から積極的に変化を生み出しにくいという問題点があります。113
・変化と多様性は生き延びるための鍵です。113
・メスは欲張りです。食料を持ってこいとか、たまには花でも摘んでこいとか、家を建てろとか。オスはメスからの叱責がいちばんこたえます。メスは自分たちの創造主ですし、存在意義そのものですから。それゆえオスは、何かとモノを集めるようになったのではないでしょうか。114
・モノを集めること自体が、ある種のオスにとっては、自己目的化していきました。モノを集めコンプリートすること。枚挙していくこと。網羅すること。・・その結果として、オスは昆虫採集や切手収集から始まって、はては大英博物館を造り、百科全書を編纂し、世界地図を作製しました。顕微鏡をのぞき、ゲノム計画を完成させ、インターネットを張り巡らせました。115
・結局のところ、生物の営みは太古の昔から変わっていません。メスは存在に理由を必要としませんが、オスには理由がいるのです。そのため、オスはいつも集め、枚挙し、網羅しようとあくせくしています。メスはゆったりと泰然自若に構え、その果実を味わうのです。115
・生物に性ができたのは、遺伝子を交換しあって絶えず可変性をつくり出すためでした。119
・親はいったいどの時点まで子どもの成長を見守ればよいのでしょうか。・・その子が成人し、結婚して、次の世代を作るところまでを見届けることです。親は孫の誕生をもってはじめて一安心できるのです。126
・ヘビやトカゲにとって、あたりの風景というのはそれほど大した情報にはならないのです。そこからは一定量の光しかやってきません。ですからぼんやりとした濃淡くらいあっても、文字通り、背景(バックグラウンド)でしかないのです。
・彼らにとっての情報は動きです。生物にとっての情報とは、変化そのものである。。163
・300年で10世代が交代し、合計特殊出生率がこのままの値で推移すれば、日本の人口は・・概算で・・2312年には1千万人以下になってしまいます。現在の10分の1以下。しかも超高齢社会です。国土もインフラも様変わりせざるを得ません。わずかな都市部に、肩を寄せあっているのでしょうか。しかし、金環日食だけは計算通り確実におこります。そのときの人々がいったいどんな気持ちで空を眺めるのか、私にはまったく想像ができません。
・二つの異なる世界が出会ってせめぎ合う、もしくは成分が互いに混ざり合う、そんな場所を界面(エッジ)と呼びます。エッジでは二つの異なる世界が融け合う結果として、互いに他を補うような、中間的で動的な環境が出現します。そこには独特の生態系が育まれ、新しいことが起こります。それを界面作用(エッジ・エフェクト)といいます。
・考古学者の小林達雄氏は、「記念物を完成させることに目的があったのではなく、未完成を続けるところに意味があったと見なくてはならぬ。むしろ完成を回避して、未完成を先送りし続けることに縄文哲学の真意があったのである」(『縄文の思考』)と述べています。229
・このような哲学は、ともすれば今日の日本人、あるいは近代というものが見失ってしまったものではないか。締め切りや納期があるゆえに、効率がなによりも優先されます。効率とは、仕事や成果を時間で割り算する方法です。そこにはいつも一時間あたり、一日あたり、一年あたりの割り算があります。つまり短いスパンでしかものごとを見ることができない思考回路にすっかり支配されてしまっているわけです。230
・時間がとうとうと流れていた縄文期には、今を生き、それが過去の人々と連続し、未来の人々にもつながりゆく、という実感さえあれば生は充実していたのです。完成や成果ではなく、プロセス自体に意味があったのです。230
・一日に2〜3時間ほどの労働によって、集団は社会生活を営んでいるそうです。あとの時間、彼ら彼女らは何を過ごしていたのでしょうか。花を愛でたり、星を眺めたり、歌ったり、風に吹かれたり、あるいは子どもと遊んだりして楽しく暮らしていたのではないでしょうか。231
私たちの社会は時代とともに急速な進化と発展を遂げ、幸福で豊かな生活を手にすることができた、というのは一種の幻想なのかもしれません。231
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