「歯をみがいたの?」「もう寝る時間でしょ!?」「早く寝ないと明日おきれないよ。」―
そう考えると、何も考えず自動的に口から出てしまっているそんな言葉によって、いったいどれだけの子どもの大切な機会を奪ってしまっているんだろう。
世界の美しさや不思議さ・よろこび、
何よりも、子ども自身の内にあるそういったもの、“二度とふたたび見ることができない”ものを、
僕たち大人がいっしょになって感じ取り、いっしょになって分かちあうことを、忘れないようにしたいと思います。
『センス・オブ・ワンダー』、レイチェル・カーソン、新潮社、1996年
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・寝る時間が遅くなるからとか、服がぬれて着替えをしなければならないとか、じゅうたんを泥んこにするからといった理由で、ふつうの親たちが子どもから取り上げてしまうたのしみを、わたしたち家族はみなロジャーにゆるしていましたし、ともに分かち合っていました。夜ふけに、明かりを消したまっ暗な居間の大きな見晴らし窓から、ロジャーといっしょに満月が沈んでいくのをながめたこともありました。・・幼い心に焼きつけられてゆくすばらしい光景の記憶は、彼が失った睡眠時間をおぎなってあまりあるはるかに大切な影響を、彼の人間性にあたえているはずだとわたしたちは感じていました。15
・子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くはおとなになるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
・もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。23
・生まれつきそなわっている子どもたちの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮に保ちつづけるためみは、わたしたちの住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。24
・多くの親は・・「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、どうしたらできるというのでしょう。わたしは、そこにいる鳥の名前すらしらないのに!」と嘆きの声をあげるのです。わたしは、子どもにとっても、・・親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。24
・子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。24
・消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道をきりひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。26
・見すごしていた美しさに目をひらくひとつの方法は、自分自身に問いかけてみることです。「もしこれが、いままでに一度も見たことがなかったものだとしたら?もし、これを二度とふたたび見ることができないとしたら?」と。25
・わたしたちがふだん急ぐあまりに全体だけを見て細かいところに気をとめず見落としていた美しさを、子どもとともに感じとり、その楽しさを分かちあう・・ 32
・人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことは、どのような意義があるでしょうか。・・地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまされることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。地球の美しさについて深く思いめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。50
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