先日、雪の重みで倒れたケヤキの木を山ほど切っていただきました。
そして、きのうもまたご近所さんが大きくなりすぎてじゃまになったというミズキの木を山ほど切っていただきました。
だから今、うちの前は切った木がゴロゴロと無造作に転がってて、なんだかへたくそな木材置き場みたい。
それに、こないだナラの木にコマ打ちした“しいたけのほだ木”も並んでいます。
それから、もう雪が降らなくなったので、窓を守っていた雪囲いの“はめ板”を外して立てかけ、干してあります。
今朝は、冬の間ストーブで薪を燃やして出た“灰”を捨てていた場所から、ひょっこりフキノトウが出ているのを見つけました。
山の土や水を守っていた木々は、倒れてたり切られたりしても、
材木として使われ、住む家や、はめ板みたいな道具になって、僕らの暮らしを支えたり、
きのこのほだ木に使われて、僕らの食につながったり、
薪として燃やされれば、僕らの暖にもなります。
灰として姿を変えても、土に栄養を与え、また新しい生命を芽吹いていく・・。
そういえば、ボロボロだったこの家の床は、大工さんの倉庫に捨てられずに眠っていた“古い木材”を利用してもらったんだっけね。
秋、刈り取った稲を干したのは、均等幅に植えられた杉の木、“はさ木”でした。
木って本当にすごいなぁと思います。
その恩恵をいただいているのは、もちろん僕たち人間だけじゃなく。
地球上の生命体としての木の偉大さは、他のどんな生物にも劣らないんじゃないだろうか。
こんなにもたくさんの“もの”を生み出してる、いやいや、木が生み出しているのは“いのちそのもの”かもしれません。
それは、木々が自らの種を存続させることとして生み出しているというよりもむしろ、それも含めてもっと大きないのちを連ね、生み出しているような気がします。
すごいなぁ。
そう思うと、僕たち人間って、他の生命に対してどのくらいのものを生み出したり与えたりしているんだろうねぇ。
自分たちのためだけに奪うことばっかりしてるんじゃないだろうか。
人間の活動によって、たった1分の間に東京ドーム2個分もの森林、こんなにも偉大な木々が消失していっているそうです、今この時も。
地球にとってより大切なのは、人間ではなく木、というのはたぶん間違いないのに。
まさやが、転がした太い切り株を3つ並べて、“道を歩いてるおばあちゃんたちの休憩所”にしました。
もう少し暖かくなったら張り紙を貼るそうです。