あんなに苦労したのに、またしばらく雪を見れなくなると思うと、なんとなく寂しいなと感じます。
雪が降る中にずっと立っていると、いろいろな雪を見ることができます。
綿毛のような塊がふわりふわりと降ってくる雪や、
かき氷のようにシャリシャリと降ってくる雪、
風に舞いながら降るメリケン粉のような粉々した雪や、
小さな玉ころでコロコロと降ってくる雪、
1つとか3つ4つくらいの結晶がそのまま、重なるように連なって降ってくる雪‥、
一口に雪と言ってもとてもいろいろ。
ふわっと降ってくる雪もとてもきれいだけど、
結晶そのままに降ってくる雪は、ほんとすごい。
僕の動きを止めて、一気に顕微鏡の世界に連れていってしまうんです。
小さい頃から、雪の結晶が好きで、よく図鑑の写真などを眺めていました。
それがなんと肉眼でもちゃんと見えることを知ったのは、大人になってから。
もうれつに感動してしまったのを覚えています。
なんであんなにきれいな形をしているんだろうねぇ。
ほんと、息をのむほどきれいなんだよねぇ。
特にここらの地域では、ともすれば雪は“除く”だけのものとなり、
迷惑なもの、大変なもの、危険なもの、のイメージが先行してしまいますが、
雪とちゃんと一緒に生き、雪を愛でることができれば、
きっと雪のいろんな姿やいろんな意味がもっと身にしみてくるんじゃないかと思ってます。
そういうことって、雪だけじゃないんだろうね。
邪魔なもの、余計なもの、不便なもの、都合が悪いもの、
たくさんある“僕らが忌み嫌うもの”でも、
たまには立ち止まって、それを一つのもの・こととしてしっかり観てみると、
思いもよらなかった姿や考えもしなかった新しい意味が見えてくるのかもしれません。
そういえば、田畑の“刈っても刈ってもまた生えてくる草”も、そうでした。
除雪しなきゃいけないやっかいな雪と、結晶のままひらひら降ってくる雪、
同じ一つのものが表すその対比を思い起こしてみたら、
どんな嫌なものに出会っても、違う見方を探そうとするかもしれません。