みんなで雪かきをした後、まさやとドッジボールの練習をしました。
もちろんずっしり積もった雪の上で。
からだを動かしてもやっぱり寒い・・。
「まさや、大森と新潟、どっちがいい?―」
東京にいたときからまさやと親しい僕の友人が、事あるごとにまさやに聞きます。
大都会東京の街中での生活と、ここ新潟の山奥の田舎での生活。
まさやは、今かろうじて「新潟」と答えるけれど、将来、彼が本当に吟味したら、いったいどっちの生活をとるんだろう?
雪がいっぱい積もった朝、一人で黙々と除雪をしてるとき、たまに思います。
“まさやも、ももこも、これからずっとこういう日常を引き受けていくのかぁ。”
ここは、
調味料ちょっと買いに行くにも車に乗って15分、
夏はもうれつに生え広がる草に手を焼き、
冬は家が埋まるほどの容赦ない積雪に気持ちまでも埋もれる、
まわりにはおじいちゃんおばあちゃんばかりで子どもの数はとても少なく、
一人で歩いておともだちの家に行くことはまず不可能、
そんな中での日常です。
でも、
四季折々の光はとてもきれいだし、
夏夜に星とホタルが一体となった光景は想像を越えてるし、
雪だって一つ一つのいろんな表情は心を奪われるほど美しい。
地域に住む人たちは暖かくて、自然も人も「環」を成しながらみんな一緒に生きてる。
東京にはない環境、子どもたちのためにも、と考えたのも、ここに移転してきた一つの理由でした。
親が子どもたちのためにと思って選んだ環境、
しかし子どもたちにとっては、選択の余地も、口出しのチャンスもなく、
ここに暮らすことになったことも事実です。
生まれる環境を選べないのは、どんな子どもも同じ。
世界有数の大富豪の家に生まれた子どもも、
遠い国の貧しい家に生まれた子どもも、
子どもたちは生まれ育つ環境を選べません。
でも、まさやたちの場合は、僕らが「彼らのために」と考えて、用意“してしまった”環境で、
今更ながら、責任というか、その意味の大きさを感じ直します。
まさやとももこは、それを引き受けるしかない。
彼らはここでどうやって育っていくんだろう。
ここにはないものはたくさんあるけれど、ここにしかないものを精一杯感じて、強く育ってほしいな。
でもまずは、僕ら親自身が、一つ一つを精一杯感じて、苦難や失敗からもたくさん学んで、強く生きていくしかないんだろうなぁ・・。
今朝は、車の後輪を雪に埋もれた崖から踏み外してしまい、それはそれは一大事でした。