価値と意味 本と花

ひとつの同じ生命として

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木を植えましょう―Sustainability & spirituality




こっちで生活を始めてから、この本、正木さんの言葉がことさら心に響く。

大切にしたい言葉たちです。



木を植えましょう―Sustainability & spirituality』、正木高志、南方新社、2002年
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・成長とは道なかばなのだ。ほんとうに大切なことは、実現したものを手離すことではなかろうか。なすべきことはこれまで何十年かかけて実現してきたものを、これから死ぬまでのあいだに手離してしまうこと。それが成熟というものだろう。木や草は、夏の間にあれほど繁らせた葉を、冬になると惜しげもなく落としてしまう。個を捨てて種にもどる。25

・森に生えている木は、個として一本の木であると同時に、森という個を超えた存在でもある。そのように人は個人であると同時に社会あるいは生態系という超個的存在である。ぼくたちの内面には個としての心―エゴ意識―と同時に、より深い内面には超個的な広く大きな心が存在している。25

・自分自身のものなどひとつもない。目も鼻も口も歯も髪も、すべて環境によってつくられている。

・山に降る雨は、草木を潤し、谷川を流れ、海へと流れ下る。そしてその一部がぼくのからだの中を通過する。からだにとりこまれた水は、体液となり、血液となり、体内をめぐって、排出され、環境に還り、海へ流れ下る。30

・ぬか床が腐敗すればぬか漬が腐るのは当然ではないか。それなのにぼくたちは平気で自分たちのぬか床である環境を汚染しつづけている。ヒトはなぜこのような錯乱した行動をとるのか。35

・草は、春に誕生し、秋には死んでいくかのように見えるけれども、よく見ると、草は生まれてもいないし、死んでもいない。42

・生命は滅びない。生命が起きたり眠ったり、開いたり閉じたりしているのは、ひとつの同じ生命である。この生命は途絶えることなく永遠につづいている。43

・人間の場合はどうだろうか?僕たちのエネルギー・・は、このからだが滅びたあと、どこへゆくのだろうか?またからだや心を客観的に見ている僕たちの意識は、からだや心がしんだあと、どこへゆくのか?ニュートンのエネルギー保存の法則によれば、「宇宙のエネルギーの和は一定であって、生まれることも消えることもない」。ないものは生まれず、あるものは消えない。43

・地球上には利益というものは実在しない。利益は略奪によってしかもたらされない。しかし、誰が誰から奪うというのか。自分が自分から奪っているのではないか。だから、利益を追い求めれば求めるほど、人は苦しみをなめる。僕たちが鍬をもって畑を耕す、この同じ力が、恐怖によってもちいられるとき、それは暴力となる。

・木を植えることには敵がない。国や企業の思惑と関係なしに、自分たち自身でできることだ。他人を変える必要はない。他人と戦う必要もない。誰にも邪魔されない。邪魔されないどころか、・・誰もが木を植えることを歓ぶのである。56

・なぜ他人を傷つけてはならないのだろうか。どうして隣人を愛さなくてはならないのだろうか。それは人間が、ほんとうは個々バラバラではなくて、ひとつながりの、一つの存在であるからだ。

・隣人とは自分自身に他ならない・・、ガンジーは答えた。「わたしに敵などいません」。もともと他人など存在しない。実在するのはひとつの大きな自己だけだ。・・愛とはこの一体感のことである。68

・〈われわれは大地の一部であり、大地はわれわれの一部だ。香り高い花々はわれわれの姉妹であり、鹿や馬や鷲はわれわれの兄弟だ・・みんなひとつの同じ家族に属している・・われわれは知っている、大地が人間のものでなく、人間が大地そのものであることを。われわれは知っている、すべての存在がつながり合っていることを・・〉アメリカ先住民族酋長シアトル 68

・あらゆるものがそれ以外のものからできており、それ以外のものの影響を受け、それ以外のものに支えられている。この世界のすべては・・ひとつの存在なのだ。70

・天台智顗の<止>と<観>の方法論
 イクラが自分の観る自己中心の世界に散乱している意識を止め、内面に引っ込めて、自己の内奥に強く集中する。それが<止>のプロセスである。それからその境地において、イクラの幻影が消えて、サケ意識に満たされて輝いている世界の実相が観られるのである。それが<観>だ。禅では見性という。ここでサケ意識とよんだものは、空とよばれ、如来とよばれ、阿弥陀とよばれ、極楽浄土とよばれ、あるいはブラフマンといわれ、アートマンといわれ、道といわれ、神といわれるもののことである。

・〈偉大になろう〉とするのと〈無私になろう〉とする動機の違いは、闇を目指すのと光を目指すことの違いほど大きい。

・モノは持っても持ってもつぎからつぎに欲しくなる、食べても食べてももっと食べたくなる、蓄えても蓄えても安心できず増やしたいと思う。・・二、三個食べれば満足しそうなものだけれども、それがそうはいかない。身体が必要とするのでなく、心が欲するからである。98

・人はどうすれば満足するだろうか?・・ひとつは、欲しいものを手に入れること。これは外面的、物質的なアプローチである。そしてもうひとつは、欲望を小さくすること。これは、内面的、精神的なアプローチだ。98

・良寛
 無欲一切足(欲がなければ満たされ)
 有求万事窮(求めれば万事に窮する)

・良寛 0=∞  アメリカ ∞=∞

・自己を浄化し制御することによって自分を貧しくし、小さくして、つには0に到る。

・木を植えるのは・・∞へ向かって自分を肥え太らせるのでなく、自分を貧しく小さくして0へ向かう〈止観〉につながる行為、それは・・現実的・社会的な行動として具体的におこなうことができる。木を植えると、50年たって森になるというのではない。木が植えられた瞬間に森になる。小さくても森である。それは人間の赤ちゃんが、どんなに小さくても、人間であるのとおなじことだ。そして子どもの存在が子どものままで希望であり救いであるように、新しい森は幼いままに希望であり救いであった。114

・富は欲望を刺激し、どん欲をそそった。どん欲はあくなき富の蓄積を追求する。またいったん豊かさを知ると、富の減少は人の心に恐怖を生む。こうして、どん欲と恐怖という二つの推進力によって、富の蓄積をもとめる際限なき一方向的な開発がはじまったのである。155

・富の蓄積は略奪を引き起こす。

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 わたなべまさゆき

 新潟県在住。
 2012年の秋に東京から移転して来ました。
 現在、生活基盤構築中、農業研修中です。