田んぼや畑の仕事をはじめて、思うことの一つ。
去年まで組織の中で仕事をしていましたが、少なくとも「評価」が励みや動機の一つとしてあったんだと思います。
他人からの評価、組織からの評価、社会からの評価。
基本的に自分が生みだした成果が給与などに反映されないNPOだったこともあり、自分ではあまり評価されることを意識せず、逆に周囲の評価(評価されたいという欲求)に左右されないように意識して、必要なことや自分に求められることを一生懸命やっていました。
でも、身近な人から「よかったね」とか「がんばったね」とか、結果として言われるとやっぱりうれしくて、そういうことも自分ががんばる動機になっていたんだと、今あらためて思います。
なぜならば―。
今、田んぼや畑の炎天下で、いくら黙々と草を刈っても、いくらドロドロになりながら土を掘っても、誰にも「すごい」と言われるわけではなく、でも、なんとなく心のどこかで「がんばったね」のような声を期待してしまっていることに気づくからです。
そう、田んぼや畑での仕事は、そういう意味においても、今までもものとはまったく違う仕事。
もちろん、この仕事が周囲と関連し、より社会性を帯びていけば、そうした評価も動機の一因になるかもしれません。
でも、今はまだはじめたばかりで、周囲とかかわるどころではありません。
だからこそ、とても本質的なことがみえるのかもしれない。
《本来的に、眼の前にある働きの対象と自分への評価は何も関係ない。》
誰かに「すごい」と言ってもらうために働いているわけではないから。
評価されたいという欲求を満たすことが、知らずのうちに目的になり、目の前の必要性に力を尽くすことがおざなりになってしまうから。
田畑の仕事は、一生懸命つくすだけ。
誰にもすばらしいと言われなくても、自然の流れに対峙し、寄り添い、誠実に、必要な分だけその場にある生命をお借りし、実りを分けていただくこと。
僕ら人間の評価されたいという欲求や自己顕示欲は、木々草花や田畑にはまったく関係ない。
でももしかしたら、たくさんがんばればがんばっただけ、「がんばったね」って田畑がたくさんのごほうびをくれるかな・・。
結果、そうだといいけどね。