仕事、持ちもの、会わなければならない人、やり甲斐がある仕事、興味深い人、貴重な持ちもの、そういったものが多すぎないこと。
使いこなせないもの、抱えきれないものは、手放すこと。
欲を満たすのでなく、心を満たすこと。
超越したつながりを感じながら、限りない大きさと全体性の中で暮らす。
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『海からの贈りもの』アン・ロウ・リンドバーグ、立風書房、1994年
・ものごとの核心を正しくとらえ、通俗的なことに足をすくわれることなく、自分の生活の核に、いつもたしかな座標軸があることをわたしは望んでいる。
・超越した繋がりを感じその繋がりに深い喜びを覚える。地上と海と空の美しさ。そういったものが以前よりも大きな意味を持ちそれらと私は一体になる。私は宇宙に溶け込んで自我から解き放たれる。それは大聖堂で見知らぬ大勢の人々とが賛美歌を歌っているのに耳を傾ける時に似ている。
・使えこなせないものを手に入れること。空しさを埋めようとして、それで時間や労力を浪費することは何の解決にもならない。
(たとえば、大金とか権利とか名声とか)
・わたしたちが欲しかったのは、これ、だった。新鮮な潮流のように胸に流れ込んでくる満点の星の夜の、そんな限りない大きさと全体性が欲しくなるものだ。
・たぶん、それぞれの潮の満ち引きが、それぞれの波が、それぞれの人間関係が、すべての段階で意味があるということ。
・所有欲は美しいものを理解することと両立しない。
・コネティカットでのわたしの生活には、この空間があまりにも不足している。そのために意味をもたない、つまり、美しくないのだということがわかる。空間には、文字がいっぱい書き込まれ、時間も埋め尽くされている。わたしの手帳には余白がほとんどなく、一日のうちで何もしないでいられる時間は少ない。家には、わたしひとりでいられる空いた部屋もない。仕事や持ちものや会わなければならない人が多すぎるだけでなく、やり甲斐がある仕事、興味深い人、貴重な持ちものも多すぎる。退屈なことだけでなく、重要なこともまた私たちの生活の邪魔をする。
・島では、言葉によるコミュニケーションは、無言の交感にとって代わり、どんな言葉よりわたしたちの心を癒してくれる。
・わたしは入浴する代わりに、海で泳ぐ。ゴミはトラックで持って行ってくれるわけではなく、自分で穴を掘って埋める。詩が書けないときは、ビスケットを焼けば、同じくらい満足できる。このようにからだを使う仕事は、忙しいコネティカットの家では、重荷になるばかりである。しかし、この島では、時間も空間もたっぷりあって、からだを使う仕事は気分転換になり、わたしの生活に穏やかな平衡をもたらしてくれる。
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