雪の心配がない季節になりました。
隣の家の一人暮らしのおばあちゃんは、今年の冬、山から自分の家の前にホースをひっぱってきて山の湧き水で雪をとかす、ということを初めてやりました。
去年までは投雪機を上手に使って家の周りを毎日きれいに除雪してくれる人がいたのですが、今年からはその方がいなくなってしまったので、そうすることにしたのだそうです。
雪山から出る水はもちろん冷たいけれど、流れる水は冬の間も凍らず、積もった雪をとかしてくれます。
こんこん、どんどん、容赦なく降り積もる雪は、おばあちゃん一人の手にはおえないものね。
雪の心配がなくなった今、そのホースの先は道の側溝に出されています。
もちろん、水は、雪どけの水も合わさって、とまることなくずっと出ています。
だから僕としては、田んぼ帰りに泥のついた足や道具を洗わせてもらったり、
もう少ししたら、収穫した野菜を洗わせてもらうこともできて、とても便利。
今朝も一緒に田んぼにいったまさやと長靴を洗いました。
ただなんか、昼夜ずーーーっと水が出ているって、不思議というか、もったいない感じがして。
「まさや、この水もったいないと思う?」
「うん、もったいないねぇ・・」
なんて話していました。
でも、考えてみると、
この水って、側溝をとおして、そこら辺の田んぼや畑に引かれていったり、そのうちは川に合流し、戻っていくんだものね。
「もったいない」っていうのは、何の感覚から来ているのか・・、ちょっとおかしくなりました。
正木さんの言葉を思い出します。
===========
・山に降る雨は、草木を潤し、谷川を流れ、海へと流れ下る。そしてその一部がぼくのからだの中を通過する。からだにとりこまれた水は、体液となり、血液となり、体内をめぐって、排出され、環境に還り、海へ流れ下る。
・地球上には利益というものは実在しない。利益は略奪によってしかもたらされない。しかし、誰が誰から奪うというのか。自分が自分から奪っているのではないか。
===========
益として「自分が所有する」という感覚があるからこそ、それを手放す時に「もったいない」っていう気持ちにもなるのかな。
水は、誰のものでもなく、地球全体で共有しているもの。
それは、水だけでなく、木も、土地も、日光も、風も、いろんな生きものの働きも、
もしかしたら、自分のいのちすらも、地球全体で分かち合ってるもの、なのかもしれません。
だから、自分が所有していないそれらは、謹んで使わせていただき、
自分本位な使い方にならず、粗末にせず、かつ、地球にとって汚染的な負荷を与えずに、そのままお返しできるのであれば、
「もったいない」ということはないんだろうな。
ただ、使わせていただく、という感謝の気持ちは忘れずに大事にしたいもの。
「所有するよろこび」だけでなく、まさやや子どもたちが無意識のうちに持ち表している「分かち合うよろこび」も、また大切にしたいと思います。