一歳半になってようやく少しだけ言葉らしきものを発するようになってきたももこが、
兄の影響もあってか、よく
「パパァ、みてー」
というようになりました。
つみきを高く積んで、
大好きなぬいぐるみを背負って、
はたまた、ごみのようなもの?をひろってきて、
「みてー」といいます。
僕が、何かをやっているときも、忙しいときも、疲れてぐったりしているときも、
彼女は遠慮なく、ごきげん顔で、自慢気な顔で、いいます。
「パパァ、みてー」って。
と、ももこのかわいらしいその声をきくたびに、「こどもの家」の子どもとのある経験を思い出すようになりました。
もう数年前になりますが、ある日子どもたちがみんなで遊んでいる様子を何気なしにビデオに撮り、後日それを編集するためにじっくり見ていたときのこと、
画面の端の方に、「クヤ~!(お兄ちゃん)」って言いながら、僕の方に歩きよっていた小さな女の子がいたことに気がついたんです。
あれ?この子は何か言いたかったんだろうか?
よく見てみると、その女の子はさらに小さな女の子をおんぶしていました。
撮っている時には、他のこどもたちも含めてみんなが遊ぶ風景を見ていたので、その子が近づいてくるのも、その子が他の子をおんぶしているのも、まったく気づかなかった。
なので、よってくる彼女とは別の方向にカメラを振ってしまっていました。
ですが、きっとこの子は「私にもおんぶができたんだよ!」って、僕に見て欲しかったんだろうなと思います。
小さな女の子がもっと小さな女の子をやっとで背負って、きっとお母さんかお姉ちゃんにでもなったとっても誇らしげな気分だったんだろうと思います。
あぁ〜、なんで彼女の「クヤ~!」に気づかなかったんだろう、ってただただ後悔・・。
だから、今ももこに「みて~」言われるたびにそのことを思い出します。
みてほしいっていうことは、もちろん、ただ見ていてほしいというわけではなくて、
それはうれしさや感動を「分かち合いたい」っていうことなんだろうね。
そう思うと、まさやも、ももこも、彼らが分かち合いたいうれしさや感動をもっと大切にしてあげなきゃなって反省します。
とくにまさやは頻繁に「パパ、みてー」を繰り返すので、
往々にしてめんどうくさくなってしまうのですが。
からだが疲れてうごくのがつらいときも、
機嫌が悪いときも、
ちゃんと見てあげられるかな・・。
うむ、がんばります。