最近、お昼をまたいで仕事があるときは、朝ななこにおにぎりを握ってもらって持っていってます。
が、たまたま作ってもらえなかった先日、朝お店に寄って何か食べるものを買うことにしました。
久しぶりの“買い弁”。何にしようかと棚に並んだ商品をあれこれ吟味してるとき、僕はすっかり、お昼には甘いパンを食べるモードになっていたんです、なぜか、疑いもなく。
なので、ピーナッツバターとチョコクリームのあまあまのパンを2つ買い、 完全にそれらを食べるお昼が楽しみになっていました。(一応、おにぎりも魅力を感じないまま一つだけ買っておきました。)
ところが!
いざお昼になってみると、甘いパンなんて全然食べたくない。。
少し前に、頂いたチョコを2つばかりおやつとして食べたからだろか。
口の中もからだ全体もあまぁいパン2つなんてとても受けつけない状態になっていて、食べ始めはしたものの、朝の自分を恨みながらもぐもぐしてました。
ようやく2つ目の半分まで食べ、仕方がない、残りはきっとよろこんで食べてくれるであろう子どもたちへのおみやげとして、リュックの中に放り込みました。
楽しみにしてたはずのお昼だったのになぁ。
・・と、些細なことだけれど、これって結構大事なことと思います。
つまり、《いま欲しいものは、将来も欲しいとは限らない》ということ。
食べる、飲む、買う、もらう、作る、観る・読む・聴く、何かをする、どこかに行く、などなど・・
僕らは日々いろいろなものやことを欲して、得ていますが、
果たしてそのうちのどのくらいが「将来にわたって本当に必要なもの」なんだろう?
何かに惑わされたり、気付かずのうちに判断を誤ったりして「いま欲しいもの」に囚われ、
「将来にわたって本当に必要なもの」を逆に失っていたりしないだろうか。
もちろん、純粋に「必要なもの」以外を全部切り捨てちゃったら、
それはそれでなんだかつまらないかもしれないけれど、
でも、得るために使う自分の時間も、お金も、あるいは健康も、限りある大切な資産だものね。
だから、何かを「欲しい」と思った時、ほんと?って少しでも考えてみようかなって思います。
それにしても、あの朝“一応”買った、塩の効いたおにぎり、おいしかったなぁ。
あんなにも甘いパンを食べたかった自分、一体なにに惑わされていたんだろう。。