自分とあわない人というのは、いるものです。
一緒にいると、なんとなく居心地わるいなぁと思っていましたが、
「何をするにも僕と異なる選択をするから」ということみたいです。
仕事の仕方、周りの人への接し方、話したい内容、時間の使い方、お金の使い方、友だちのつくり方・・・、たぶんほとんどが僕と異なります。
いろんなことが適当だし、めんどくさいことはキライだし、あえて人と違うことするし、結構なんでもすぐ買うし、趣味娯楽をどんどん求めるし。。
僕から見て「そりゃちがうんじゃないの?」ということもありますが、というかほとんどがそうですが、まぁそれでも 、その人はその人で楽しそうに毎日を過ごしてるんです。
なので、嫌って遠ざけるのでなく、うわべだけでも上手に付き合おうくらいには思ってました。
ところが。
その「その人はその人で楽しそうに過ごしてる」ということをよく考えてみて、ふと思ったんです。
もし、僕がいろいろなことにあえてその人と同じような選択をしていったら(できたら)、僕の日々の可能性はまたまったく違うものになるんだろうな、と。
その人は、趣味娯楽がころころ変わるから、いろんなことに取り組んでて知ってることやできることが多いし、好奇心に任せてたくさんのものを惜しみなく買うけどその点においても楽しそうだし。
前にどこかで、「自分の力になるような人、7人を自分の中に持っておくとよい。(そして、必要なときに、それぞれの人ならどうする?どう考える?と自問するとよい)」ということを聞きましたが、
その“七人の侍”リストに加えるべきは自分が好きな人や尊敬する人だけでなく、
その人のような「自分とはまったく異なる人」や「自分とはあわない人」をもちゃんと入れるべきなんだろうね。
自分の好みやパターンにない選択や思考ができるかも、思わぬ突破口になるかもしれません。
そう思うと、その人に対する見方が変わってきたから不思議。